寿司ペロは、むしろ彼を叩く大人たちこそ悪質

寿司ペロが炎上している。

 

これにたいして、悪いことをしたのだから、彼はどんな償いでもしなければならないとか、似た事例を誘発するから見せしめに制裁を加えるべきとか、飲食業界の信頼を損なわせたのだから株価の下落分を賠償させるべきだとか、まあそんなような、とことんまで叩くべきだ、みたいなことを主張する者がいる。

 

いっぽうで、さすがに責めすぎ・やりすぎだとか、まだ高校生なのだからちょっとお灸をすえて許してやるべきだとか、寛容さを持つ社会であるべきだとか、まあそんなような、高校生なんていつの時代もだいたいそんなもんじゃないの、みたいなことを主張する者もいる。

 

わたしは完全に後者なので、ちょっと思うところを聞いてほしい。

 

まず、彼の行為が悪いことであることは否定しがたい。とても不快だし、衛生的にも気になる。

わたしだって、あれを目の当たりにしたらちょっと食欲が失せるだろう。

 

しかし、いったん落ち着いて、なにが不快で衛生的に気になるのか、考えてみたい。

 

それは、唾液が付着することである。

 

彼が物理的に行ったことは、唾液を寿司(寿司だったっけ?)に付着させたことである。

 

それって、そんなに不快で衛生的に気になることだろうか。

 

そもそも、回転寿司に友人と言ったら、誰でも友人と話しながら食べるはずである。ということは、回転寿司の寿司というのは、唾液は付着していて当然なはずだ。

なお、寿司をレーンからとるときなど、寿司側に顔を向けるときにはぜったいに会話を中断し、呼吸を止めてとるようにしているなどという強者には当てはまらないのかもしれないが、わたしはそんな人も一人たりとも見たことがないので、考慮しない。

 

もっと言えば、しょうがをとるときに、手についていたごみとかほこりとかをしょうが入れに混入させたことがないなどと、誰が言い切れるのだろうか。

なお、しょうがをとるときは、毎回いったんお手洗いに行って、手術前の医師並みに手を洗っているなどという変態には当てはまらないかもしれないが、わたしはそんな人を一人たりとも見たことがないので、考慮しない。

 

さらに言えば、テーブルにおいてある紙お手拭き?をとるときには、けっこうな確率で自分がとる紙以外の紙にも手が触れるが、その手はぜったいに清潔であるなどと誰が言い切れるのだろうか。あなただって、お手洗いでちゃんと手を洗っていない人を見たことがあるはずだ。というか、誰だって、一度くらい手を洗わなかったことがあるはずだ。ないとは言わせない。

 

つまり、おそらく事実として、寿司には唾液が付着しているし、しょうがにはほこりが混入しているし、紙にはお〇っこがついている。

わたしたちはそれを受け入れているはずなのである。その証拠に、潔癖症の人はたぶん回転寿司をはじめ大衆店には行けないはずだ(高級店でも無理かも)。

 

つまり、寿司ペロの彼が行ったことは、すでにわたしたちが当たり前のこととして受け入れていることでしかない。

それを、わざとやったからといって、なぜそこまで叩くことができるのだろうか。

 

「だからといって、わざとそんなことをされて、それを見せられれば、誰だっていい気はしないだろう」という反論がなされるだろう。まったくもって同意である。完全に正しいと思う。

 

しかし、逆に言えば、「いい気はしない」という、ただその程度の話なのである。(あと、多少付着する唾液の量は多くなっているかもしれないが)

それなのに、極悪人かのように叩き潰す。引き起こされている事実自体は、みな暗黙のうちに受け入れていることだというのに。

株価の暴落とか顧客の信頼はどうなんだ、という指摘にたいしても同じことがいえる。回転寿司の寿司やしょうがや紙お手拭きには、完全無欠の清潔さが保証されている、投資家やお客さんは、そう信じていたのだなどと、まさか本気でそう主張するつもりだろうか。

株価が下がったのは、大騒ぎした大人たちが原因というべきだろう。

 

わたしは、このような社会にきわめて強い嫌悪を抱く。

目についた、叩きやすい、弱い立場の人間を、自らを棚どころか天井裏にまでに上げて責めたてる。

その悪辣さ、下劣さは、寿司ペロなどの比にならない。

 

この一連の流れを見て、きっと多くの子育て経験のある人は、こう思ったのでないか。

 

「子どもに、この程度のいたずらもしないレベルでしつけをしようと思ったら、それはもはや監禁するほかない。この社会で子どもをもうけたら、いたずらをさせないために我が子に犯罪行為をするしかないだろう。」

 

おおげさだと思うだろうか。わたしもそうであればいいと願っている。