「消費税は預かり金ではない」的な主張についての考察

インボイス制度の導入を10月に控え、インボイスに反対する者からさまざまは批判などがなされています。

 

たとえばつぎのような記事がありました。

インボイス導入根拠がついに論理破綻! 「消費税は預かり金ではない」と政府が国会で認めた決定的答弁の詳細(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース

 

記事によると、

 

2023年2月10日の衆議院 内閣委員会(質問:れいわ新選組 多ヶ谷亮 議員、答弁:自民党 金子俊平 財務大臣政務官)で、こうした益税論争に終止符を打つほどインパクトのある決定的な政府答弁が飛び出した。 遂に政府が「消費税は預かり金ではない(=益税は無い)」と国会で明言。必然的に「税の公平性」というインボイスの導入根拠も偽りと露呈。

 

したとのことです。

 

インボイス制度の導入の背景とか、それによって生じるデメリットとか、そういったことには私は解説できるほど詳しくないのですが、現行の消費税法についてならある程度解説ができると思うので、コメントしておきたいと思います。

 

詳しくは記事を読んでもらえればと思いますが、この記事で議論されているような内容は、いろいろな論者が述べています。

 

ざっくり言えば、「消費税は預かり金ではない。したがって、益税は存在しない」という主張です。

 

このような主張は、そもそもインボイス制度に対する批判になっていませんし、かりに「消費税は預かり金ではない」という前提が正しいとしても、そこから「益税は存在しない」という結論を導くことはできません。

 

おそらく、税法になじみのない方からすると、そもそもなぜこういう推論になるのか不明だと思いますので、いちおう、こういった主張がどういう論理をとろうとしているのかを(非常に好意的に)推測して説明してみたいと思います。

 

1 消費税の納税義務を負っているのは、事業者(お店の人)であって、消費者ではない。

2 だから、消費者が商品の代金として支払うお金は、すべて商品の対価であって、消費者が事業者に対して消費税を支払っているのではない。

3 だから、事業者は消費者が納めるべき消費税を代わりに預かっているのではない。

4 だから、免税事業者が消費税を納税しないとしても、消費者から受け取っているのは、あくまで商品の対価なので、払わなければならない税金を払わずに自分のものにしているわけではない。

5 したがって、別になにも得しているというわけではないので、益税というものもない。

 

おそらくこういうかんじだと思います。

 

結論から言いますと、1~3は完全に正しいです。

 

4は、「消費者から受け取っているのは、あくまで商品の対価」は正しいですが、「払わなければならない税金を払わずに自分のものにしているわけではない」は、点数をつけるとしたら50点くらいです。「現行法において違法ではない」という意味で言っているのなら正しいですが、「消費税など発生していない」という意味で言っているのなら間違いです。

 

5は、ほぼ間違いです。

 

これから解説していきますが、結論から言えば、記事がいう「消費税は預かり金ではない(=益税は無い)」という主張は、あまりよい説明とは言えない上に(ほぼ間違いといってよい)、それを政府が認めたとしても、認めなかったとしても、なんの影響もない、どうでもいい論点だということです。

 

というか、論点ではないです。議論になり得ないくらい基本的なことです。

 

記事では、決定的な政府答弁と書いていますが、たぶん消費税法の授業があったら、1回目の授業で説明されるくらいの内容なので、大した答弁ではありません。とはいえ基本的ということはとても重要であるということなので、そういう意味では決定的かもしれませんが、そうすると、毎年全国の法学部で決定的な講義が行われているということになりましょう。

 

基本は本当に大切です。ですが、おろそかになってしまうところでもあります。何度でも基本に立ち返ることが必要です。

 

それを説明していきます。

 

税を考える際に、まず押さえておかなければならないのが、つぎの3点です。

 

〇何に課される税なのか

〇誰がその税を納めるのか

〇税額を計算するときに、何に税率を乗ずるのか

 

基本的すぎて当たり前ですが、これが意外と見過ごされます。しかし、これが何より大事です。税法を学ぶ際には、これは丸暗記必須です。

 

〇何に課される税なのか

まず消費税は「何に課される税なのか」。

 

これについてアンケートをとったら、正確に回答できる人はほぼいないと断言できます。なんなら税理士や国税職員でもわりと正答率は高くない気がします。

 

答えは、つぎのとおり、消費税法4条1項に書いてあります。

(課税の対象)
第四条 国内において事業者が行つた資産の譲渡等(特定資産の譲渡等に該当するものを除く。第三項において同じ。)及び特定仕入れ(事業として他の者から受けた特定資産の譲渡等をいう。以下この章において同じ。)には、この法律により、消費税を課する。

 

「特定仕入れ」はちょっと応用編なので、スルーで可。つぎのところだけ読んでもらえればよいです。

 

国内において事業者が行った資産の譲渡等(中略)には、この法律により、消費税を課する。

 

難しい言葉としては、「資産の譲渡等」があります。これには定義規定があります。

 

消費税法2条8号

資産の譲渡等 事業として対価を得て行われる資産の譲渡及び貸付け並びに役務の提供(代物弁済による資産の譲渡その他対価を得て行われる資産の譲渡若しくは貸付け又は役務の提供に類する行為として政令で定めるものを含む。)をいう。

 

これも、ここだけ読めばよいです。

 

資産の譲渡等 事業として対価を得て行われる資産の譲渡及び貸付け並びに役務の提供(括弧内省略)をいう。

 

以上から、消費税の課税対象は、つぎのように整理できます。

 

①国内において

②事業者が

③事業として

④対価を得て行う

⑤資産の譲渡及び貸付け並びに役務の提供

 

だいたいそのままで意味は分かると思いますが、簡単に捕捉しておくと、

 

①は、国外で行われた⑤は対象外ですよ、という意味

 

②は、事業者でない人が行った⑤は対象外ですよ、という意味(つまり、私たちが私用の車を後輩に安く譲ったとしても消費税は課されない)

 

③は、個人事業主は事業者であるが、その場合でも、私用の車を後輩に安く譲った場合には、消費税は課されない、という意味。事業用の車の場合は、消費税が課される。

 

④は、無償の⑤には消費税は課されません、という意味。事業用の車であっても、ただで譲る場合には消費税は課されません、ということ。

 

⑤は、具体的に「何に」消費税が課されるのかの提示。

 

資産の譲渡(スーパーで卵をお客さんに引き渡す行為)

資産の貸付け(レンタカーとかをお客さんに貸す行為)

役務の提供(美容師がお客さんの髪を切る行為)

 

に消費税は課されるということです。

 

そう、消費税は、これらの「行為」に対して課される税なのです。これは意外と忘れそうになるので注意。

 

〇誰がその税を納めるのか

次に、消費税は「誰が納めるのか」。

 

答えは消費税法5条1項

(納税義務者)
第五条 事業者は、国内において行つた課税資産の譲渡等(特定資産の譲渡等に該当するものを除く。第三十条第二項及び第三十二条を除き、以下同じ。)及び特定課税仕入れ(課税仕入れのうち特定仕入れに該当するものをいう。以下同じ。)につき、この法律により、消費税を納める義務がある。

 

ここだけ読めばいいです。

事業者は、国内において行った課税資産の譲渡等(中略)につき、この法律により、消費税を納める義務がある。

 

「課税資産の譲渡等」は、深く考えなくても大丈夫。さっきの①~⑤に該当する行為でも、あえて非課税とされているものがあるので、それを除いたものが課税資産の譲渡等。

 

ようするに、消費税を納める義務があるのは「事業者」です。つまりお店の人。お客さんではありません。

 

〇税額を計算するときに、何に税率を乗ずるのか

答えは消費税法28条1項

第二十八条 課税資産の譲渡等に係る消費税の課税標準は、課税資産の譲渡等の対価の額(対価として収受し、又は収受すべき一切の金銭又は金銭以外の物若しくは権利その他経済的な利益の額とし、課税資産の譲渡等につき課されるべき消費税額及び当該消費税額を課税標準として課されるべき地方消費税額に相当する額を含まないものとする。以下この項及び第三項において同じ。)とする。ただし、法人が資産を第四条第五項第二号に規定する役員に譲渡した場合において、その対価の額が当該譲渡の時における当該資産の価額に比し著しく低いときは、その価額に相当する金額をその対価の額とみなす。

 

ここだけ読みましょう。

課税資産の譲渡等に係る消費税の課税標準は、課税資産の譲渡等の対価の額(対価として収受し、又は収受すべき一切の金銭又は金銭以外の物若しくは権利その他経済的な利益の額とし、課税資産の譲渡等につき課されるべき消費税額及び当該消費税額を課税標準として課されるべき地方消費税額に相当する額を含まないものとする。以下この項及び第三項において同じ。)とする。

 

課税標準というのが、何に税率を乗ずるのか、の「何」にあたるやつです。

 

書いてあるとおり「課税資産の譲渡等の対価の額」です。

 

課税資産の譲渡等とは、スーパーが卵を売ったり、レンタカー屋がレンタカーを貸したり、美容師が髪を切ることだったので、それの「対価の額」です。

(※条文をちゃんと読めば課税資産の譲渡等の対価の額とは、税抜金額だということが分かると思うのですが、ややこしくなるので、そのへんは適当でいいです。分かっている人は気になるかもしれませんが、以下、雰囲気で読んでください。)

 

ふつうに、代金ということですね。

 

消費税率を10%と考えると、かりにお客さんが払う金額が110円だったとしたら、そのうち消費税相当分は110円×(10/110)なので、10円ということです。

 

ここでポイントは、110円には消費税が含まれているので、110円×10%で11円が消費税ではなく、10%分を加えたあとの金額が110円ということです。

 

つまり、100円の10%である10円が、もとの100円に足されて110円という計算です。

 

さて、この場合、お客さんは110円を支払っているので、消費税相当額10円も払っていることになります。

 

しかし、さきほど確認したように、消費税の納税義務者は事業者であって、お店の人ですから、お客さんは、「なぜ私が消費税を払わなければならないんだ。10円を払う義務は私にはない。だから100円しか払わない」という主張をしたとしたら、これは正当な主張でしょうか。

 

これは、(消費税法的には)正当です。お客さんの主張は完全に正しい。

 

お店側が、これに応じて、100円で売ったとします。この場合、消費税はどうなるのでしょうか。

 

基本がおろそかになっていると、ここで、消費税が支払われなかったとか、脱税したとか、そういった間違いを犯します。

 

基本に戻ってみましょう。消費税は、何に課される税だったか。

 

①国内において

②事業者が

③事業として

④対価を得て行う

⑤資産の譲渡及び貸付け並びに役務の提供

 

です。

 

この取引は国内において行われたとすると、①~⑤をすべて充たします。

したがって、消費税は課されています。(←ここ大事。消費税は①~⑤を充たした時点で有無を言わさず課されている。)

 

誰がその消費税を納めるのか?

事業者です。つまりお店の人です。

 

税率10%は何に乗ずるのか?

課税資産の譲渡等の対価の額です。つまり、そのお客さんが払う金額です。

 

ということは、お客さんが100円しか払わなかったら、お店は、

 

100円×(10/110)=9.09・・・円を消費税として納税するということになるわけです。

 

ようするに、税率が10%だとすると、つねに次の比が成立するわけです。

 

お客さんが払う金額:消費税に相当する額=110:10

 

だから、お客さんが110円支払ってくれるか、100円しか支払ってくれないかは、たんに売り手と買い手との価格交渉の結果に過ぎず、その交渉の結果決定した価格は、(当事者がどう思っているかに関係なく)消費税10%分を含んだ金額だということです。

 

売り手や買い手が、その金額が消費税込みと思っているか、抜きと思っているか、そんなことは消費税法からしてみれば、1ミリも関係ありません。

 

買い手がその商品を得るために、サービスを受けるために、売り手に支払う金額のすべてが課税資産の譲渡等の対価の額であり、その金額の10/110を消費税として事業者が納税するという仕組みなのです。

(※分かっている人はこの書き方に引っ掛かると思うので繰り返しますが、課税資産の譲渡等の対価の額は税抜の金額です。分かっててこう書いています)

 

だから、消費税が預かり金なのかどうかという議論は、1ミリも意味のない議論なのです。

 

その理由を改めて簡単に説明すると、以下のとおりです。

 

ものすごく単純に言えば、大切なことは、

 

〇消費税はモノを売ったりサービスを提供するという「行為」に課される。

〇消費税を納税する義務があるのはお店の人であって、消費者ではない。

〇消費者がお店の人に支払う金額の総額は、つねに消費税10%(10%だとすれば)を含んだ金額であり、その総額に10/110を乗じた金額を納税することになる。

 

ということです。

 

消費者から受け取った代金のうち、お店の人は10/110を納税しなければならないのですから、そのことを指して消費税は預かり金だ、というならそのとおりですし、

 

本来消費者が納税しなければならない消費税を、お店の人がいったん預かって、代わりに納税しているのだ、という意味で消費税は預かり金だ、というならまったく誤りです。

 

ただそれだけのことなのです。言い方の問題に過ぎません。

 

もちろん、「ほんとうのところ」誰が消費税を負担しているのか、という問題は、また別の論点として重要であるとは思います。

 

どういうことかというと、たとえば消費税が増税されたとして、会社はその追加の税負担分によって経営が苦しいので、従業員の給料を減らしたとします。

この場合、「ほんとうのところ」消費税の負担を強いられたのは、従業員であるという見方もできるわけです。

 

本来的に、消費税は消費者が負担することが想定されている間接税ですから、ほんとうに理論通り消費者が負担しているのだろうか、といった、こういった議論の過程で、「ほんとうのところ」事業者は誰から消費税を「預かって」いるのか、という話になることはあり得るでしょう。

 

しかし、この記事にあるような議論では、消費税が預かり金であってもそうでなくても、なんら関係のない話です。

 

さらに、「消費税は預かり金ではないから、益税もない」という推論は、ほんとうに1ミリも妥当ではありません。

 

「猫は可愛いから、益税もない」という推論と同じレベルの説得力しかありません。

 

そもそも益税(と言われているもの)は何かというと、消費税法9条1項が、消費税を免除される事業者を定めていることに関連します。

 

(小規模事業者に係る納税義務の免除)
第九条 事業者のうち、その課税期間に係る基準期間における課税売上高が千万円以下である者については、第五条第一項の規定にかかわらず、その課税期間中に国内において行つた課税資産の譲渡等及び特定課税仕入れにつき、消費税を納める義務を免除する。ただし、この法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。

 

 まあ読んでもらえばだいたい分かると思いますが、とてつもなくざっくり言えば、年間の売上高が1000万円を超えない事業者は、消費税の納税義務を免除する、という規定です。

 

免除する、ということは、ほんとうは納税義務があるということです。そもそも納税義務がない人の納税義務を免除することはできません(当たり前だが)。

 

しつこいようですが、消費税は、

 

①国内において

②事業者が

③事業として

④対価を得て行う

⑤資産の譲渡及び貸付け並びに役務の提供

 

に課されます。だから、売上高が1兆円だろうが、10円だろうが、①~⑤に該当していれば消費税は課され、事業者は納税義務を負います。

 

ただし、年間の売上高が1000万円以下の事業者は、この納税義務を免除されているという整理です。

 

だから、課されている消費税の納税を免除されているという点で、その分得している、という意味で益税があると言うなら、それはそのとおりだし、

 

納税しなければならないものを納税していない、違法に税を免れている、という意味で益税がある、というなら、それはまったく誤りだということです。

 

たんに、現行はそういう制度だというだけです。

 

売上高が1000万円以下の小規模事業者は、消費税分を価格に上乗せできていない、という主張があるかもしれません。

 

それは一部で真理なのでしょう。ですが、その主張は消費税法的には1ミリも意味を持ちません。

 

価格を上乗せできようができまいが、売り手と買い手との価格交渉で決定した価格が、消費税が上乗せされた金額です。

 

消費税が増税されても価格は据え置きにせざるをえないという状況が意味するのは、益税が発生していないということではなく、その商品の価格が低下したということです。

 

消費税10%下で、110円の売値だったものが、消費税が20%になっても110円でしか売れなかったとしたら、

 

前者の消費税額は110円×10/110=10円

後者の消費税額は110円×20/120=18.333・・・円

 

になるので、前者の税抜価格は110-10=100円だったのが、後者は110-18.333・・・=91.677・・・になったというだけです。

 

これらの消費税額を納税しなくてもいい状況を、益税があると呼ぶならそうだし、呼ばないならそうでないというだけのことです。

 

あくまでも、私が言いたいのは、消費税とはそういう仕組みだというだけのことであって、小規模事業者が苦労していないとも思っていないし、「ほんとうのところ」必ずしも得をしていないのだろうとも思っています。

 

私はここで、現行の消費税制度が良い制度か悪い制度かという、価値判断をするつもりはありません。ただたんに、教科書に書いてあるようなことを分かりやすく述べたまでです。

 

現行法は、こういうふうになっているという事実を説明しただけです。しかし、事実を正確に理解しなければ、反対もできないはずです。

 

だから、インボイスはぜったいに中止にはなりません。なぜなら、反対する人の主張が完全に間違っているからです。

 

インボイスを導入するべきではない、という主張が正しくないと言っているのではありません。その主張をサポートする根拠や前提や推論がことごとく間違っていると言いたいのです。

 

インボイスは中止にするべきだ、なぜなら猫が可愛いからだ。」と言っているのと、推論の妥当性としては大差ないのです。

 

よく反対論者は政府の答弁が支離滅裂だとか、回答になっていないなどと言いますが、「猫が可愛いからインボイスはおかしい」という主張に論理的に回答できないのは当然です。

 

ということで、結論を述べると、

 

〇消費税が預かり金であるかどうかはどうでもいい。預かり金のようなものであるといえばそうだし、そうでないといえばそうでない。表現の違いに過ぎない。

 

〇かりに預かり金でなかったとしても、そのことから益税はないという結論は導けない。

 

〇益税があるかないかについても、あるのかもしれないし、ないのかもしれない。すくなくとも、消費税法上の建付けとしては、発生しているものの納税を免除されている消費税はある。それを益税と呼ぶならそうだし、呼ばないならそうでない。

 

 以上です。

 

興味を持たれた方はちゃんとした教科書を読んでみましょう。

 

おすすめは、

 

佐藤英明・西山由美(2022)『スタンダード消費税法』弘文堂

 

です。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

また、ちょっとググると税理士さんのブログがありましたので、こちらも紹介しておきます。私風情が言うのもおこがましいですが、とてもよい記事だと思います。

免税事業者は消費税を預かっていないから益税はないは本当か?|仕入税額控除の意義から考えるインボイス制度の妥当性 | あなたのファイナンス用心棒 吉澤大ブログ (alliancellp.net)

 

 

 

 

 

はじめての簿記(第3回)

今回は貸借対照表について学んでいきましょう。

 

はじめての簿記(第1回)のQ6を復習しておく。

 

貸借対照表とは、

 

「所有している財産の一覧及びその金額」と、「その財産をどうやって手に入れたのかということ(たとえば、人から借金して手に入れたとか、自分で稼ぎ出して手に入れたとか)と、その方法で手に入れた金額」を示す書類である。

 

たとえば、100円玉を1枚持っているとする。そうすると、「所有している財産の一覧及びその金額」は、「現金で100円」ということだ。

 

この100円は、友人から借りたものだとする。そうすると、「その財産をどうやって手に入れたのかということと、その方法で手に入れた金額」は、「借金で100円」ということだ。

 

このように、前者と後者は(その定義からして当たり前に)同じ金額になる。

つまり、バランスするので、英語ではBalance Sheet(バランスシート)という。略してB/Sという。

どうして「貸借」という言葉を使うのかは、まあそういうものだと思ってください。

 

これも図解していきたいのだが、損益計算書の比べると、ちょっとイメージが湧きにくいと思われるので、抽象的に説明するので、まずは理論的な理解をしていってほしい。

 

まず、「所有している財産の一覧及びその金額」についてである。

 

これは、ようするに財産目録ということである。

 

全財産〇円、みたいな言い方をたまにする(かもしれない)が、それのことである。

 

全財産を差し出せ!と強盗に迫られた場合、あなたは何を差し出せばいいのだろうか。

 

私の場合で考えてみる。

 

まず、普通預金口座に残高が(多少)あるので、それ。

それから、財形貯蓄(財形貯蓄が何か分からない場合は、貯金用の別の口座を持っていると思ってもらえればよい。)もしているので、その残高。

また、投資信託もしているので、その投資金額(強盗に渡すには現金化しなければならないが)。

あと、財布にいくらか現金が入っていたので、それ。

最後に、家財道具一式(冷蔵庫とか、洗濯機とかそういうの。まあもう10年くらい使っているので価値はなさそうだが)。

 

こんなところだろうか。自宅は賃貸なので、私の財産ではない。土地も持っていない。

 

ということで、「所有している財産の一覧及びその金額」はこれで一覧にできた。

 

つぎに、「その財産をどうやって手に入れたのかということ(たとえば、人から借金して手に入れたとか、自分で稼ぎ出して手に入れたとか)と、その方法で手に入れた金額」を考える。

 

あなたの財産一覧は、2種類に分けることができる。

 

あなた自身のものか、そうでないかだ。

 

ぜったいにこのどちらかに分けられる。例外はない。

 

というか、「Aであるか、Aでないかのいずれかである」という命題は、(当たり前だが)Aに何が入ろうとも、ぜったいに正しいトートロジーである。(論理式でいうと、 A⋁¬A となる。分からない人はスルーで可)

 

したがって、あなたの財産は、あなた自身のものであるか、あなた自身のものでないか、ぜったいにこのいずれかである。

 

つまり、貸借対照表とは、

 

「所有している財産の一覧及びその金額」と、「その財産をどうやって手に入れたのかということ(たとえば、人から借金して手に入れたとか、自分で稼ぎ出して手に入れたとか)と、その方法で手に入れた金額」を示す書類

 

であるというのは、

 

〇あなたの財産一覧

〇その財産のうちどれだけがあなた自身のもので、

〇どれだけがあなた自身のものでないか

 

を示した書類である、という意味である。

 

図解すると、つぎのようになる。

 

貸借対照表の図解

これを、会計用語では、このように呼ぶ。

貸借対照表(専門用語ver)

ここまでの話から、

 

あなたの財産=そのうち、あなた自身のものでないもの+あなた自身のもの

資産=負債+純資産

 

という計算式が成り立つことが分かる

これを、「バランスする」といい、だから貸借対照表は英語でバランスシートと呼ばれる。

 

じっさいの例で確かめてみよう。

 

(例)

① 会社設立にあたって、自分の財布から100円を資本金とすることにし、会社用の財布に100円玉を入れた。

② 銀行から150円を借り入れ(借金)し、会社の口座に150円が振り込まれた。

 

①の取引によって、あなたの会社は100円を得た。つまり、100円の資産(財産)が発生したことになる。

 

したがって、図の「資産」に100円が発生する。そしてこの資産は「現金」という形態なので、「現金 100円」と書いておく。

 

つぎに考えるのは、「資産」に入った「現金 100円」は、「負債」または「純資産」のいずれなのか、ということである。

 

こういう具体的な話は市販テキストを使ってでも勉強してもらえればいいのだが、答えは「純資産」である。

資本金というのはようするに株主(今回は社長であるあなた)からの出資金なわけで、株主のお金であり、会社からすると負債なのではないかという気がするかもしれないが、株主になるということは、会社の所有権を得るということなので、その対価として支払われた資本金は、会社自身のものである、という理解でよいと思う。

 

したがって、図の「純資産」に「資本金 100円」が入る。

 

これで、

 

資産100円=負債0円+純資産100円

 

となり、左右がバランスしている。

 

つづいて②の取引によって、あなたの会社は150円を得た。つまり、150円の資産(財産)が発生したことになる。

 

したがって、図の「資産」に150円が発生する。そしてこの資産は「預金」という形態なので、「預金 150円」と書いておく。

 

つぎに考えるのは、「資産」に入った「預金 150円」は、「負債」または「純資産」のいずれなのか、ということである。

 

これは簡単で、銀行からの借金(会計では、借入金という言い方をしたりする)なので、あなたの会社自身のものではない。

 

したがって、図の「負債」に「借入金 150円」が入る。

 

これで、

 

資産150円=負債150円+純資産0円

 

となり、左右がバランスする。

 

会社は(個人事業主も)1年に1回貸借対照表を作る。

たとえば1月1日~12月31日という区切り方で1年を区切った場合、12月31日が終わる時点での貸借対照表を作成する。

 

この1年の取引が①と②だけだったとすると、これで12月31日時点での貸借対照表が完成である。

 

①と②を合体させると、図のようになる。

取引の内容を反映した貸借対照表

このように、左右がバランスしている。(ふつう現金を預金より上に書くので、右側の数字と順序が逆になっている。まあどうでもよい。)

 

これが貸借対照表だ。

 

あなたの会社は、

 

〇いま250円の資産を持っていて、その内訳は現金100円、預金150円である。

〇そのうち、150円は負債で、100円は純資産である。負債の150円とは借入金で、純資産の100円とは資本金である。

 

ということを説明している。

 

損益計算書と違って、「現金」や「預金」といった現物(リアル)を表しているということがよく分かるだろう。

 

「資産」という現物(リアル)を、「負債」「純資産」で説明しているというイメージを持ってもらえればよい。

 

これで損益計算書貸借対照表について基本的な理解ができた。

 

しかしまだ、この2つがどう関連するのか(そう、関連するのである)を説明していない。

 

次回は、損益計算書という概念(フィクション)と、貸借対照表という現物(リアル)がどのように統一的に説明できるのか、まさに「複式」簿記と言われるゆえんを学んでいくことにしよう。

 

お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

はじめての簿記(第2回)

第1回で、簿記の目的は、決算書(損益計算書貸借対照表)を作ることだと学んだ。

 

今回から、損益計算書貸借対照表とは具体的にどういうものなのかを理解しよう。

まずは損益計算書(P/L)からです。

 

損益計算書は文字通り、「損」と「益」を「計算」した「書」類です。つまり、会社が(個人事業主でもよい)どれくらい損または益を出したが、ありていに言えば、どれくらい儲かったか(利益)を示す書類だ。

 

利益がどのように算出されるかは、さすがに誰でも分かるだろう。

そう、「(収益)-(費用)=(利益)」だ。

 

ここで、収益という言葉はあまり一般的ではないと思うので適当に簡単に説明しておくと、売上高という意味と理解すればよい。

「益」という漢字が含まれているので費用を除いたあとの利益のことを意味しているのかな?という気がするが、そうではなく反対に、費用を除くまえの、純粋に売り上げた金額を意味するので注意。

 

上記の計算式を図解すると、つぎのようになる。

 

損益計算書の図解

右側に収益をおき、左側に費用をおくと、その残りスペースが利益ということになる。なお、費用のほうが収益より大きければ当然マイナスの利益、つまり損失ということになり、右側に残りスペースができることになる。

損失のとき

じっさいの取引を例に考えてみよう。

 

(例)

① 商品Aを100円で仕入れた。

② その商品Aを150円で売った。

 

①の取引で、100円の費用が発生した。したがって、図の「費用」に100円が発生する。数字だけ書いていてもなんの100円なのか分からないので、「商品Aの仕入れ 100円」と書いておく。

 

②の取引で、150円の収益が発生した。したがって、図の「収益」に150円が発生する。こちらもなんの150円なのか分かるように、「商品Aの売上げ 150円」と書いておく。

 

①と②の取引の結果、150円の収益と100円の費用が発生したので、利益が50円発生した。したがって、図の「利益」に50円が発生する。これも、分かるように「商品Aを仕入れて売った結果生じた利益 50円」と書いておく。

 

この結果、図はこのようになる(当たり前だが)。

取引の内容を反映した損益計算書

会社は(個人事業主も)、ふつう1年ごとにちゃんとした損益計算書(や貸借対照表)を作る。たとえば1月1日~12月31日という1年の区切り方をするならば、12月31日が終わる時点での損益計算書(や貸借対照表)を作る。

この場合、12月31日が終わる時点を迎えることを「決算期が到来する」などという言い方をする。

 

さきほどの①と②の取引のみが発生し、決算期が到来したとしよう。

損益計算書は、上の図で完成である。

 

よく見る形としては、

 

売上げ 150円

費用  100円

========

利益   50円

 

みたいなかんじかもしれないが、それは形式の問題であって、どっちでもよい。

 

損益計算書とは、これだけのことである。シンプルだ。

 

売上げ150円、費用100円、利益50円。

 

目には見えないし、触れない。しかし、このようにまるで実在するかのように(実在していないというつもりはないが。まあ言葉のあやということで)損益計算書は作成される。

 

ドラッカーも、「利益は幻想である」と言っている。(意味はちょっと違うかもしれないが。本を読んでいないので分からない。)

 

損益計算書は、概念(フィクション)を示すのである。

 

次回は、現物(リアル)を担当する、貸借対照表をやっていきましょう。

 

お読みいただきありがとうございました。

東京の電車ってなんであんな揺れるん?

東京の中央線をよく利用する。

 

私は今は東京に住んでいるが、もともとは関西の田舎の出身なので、東京に来て中央線に乗ったとき、その揺れの激しさに驚いた。

 

縁起でもないが、事故かテロでもあったのでないかと思ったほどだ。まあちょっと大げさに書いたが、とはいってもそこまで大げさなつもりはない。

 

私の感覚では、電車とは、別につり革も何もつかまなくても、立っていられるものだった。

 

それが中央線では立っていられない。立っているのが困難ということではない。立っているのが不可能なのだ。

 

基本的な揺れ自体も大きいが、時折(私にとっては)脱線したのかと思うほどの揺れが生じる。

 

つり革をつかんでいても、振りほどかれるのではないかと思うほどだ。

私は男性で、おそらく人よりも足腰も丈夫なほうで、しなやかな筋肉質の体(に脂肪がたくさんついている)だと思うが、それでもそうなのだから、女性や高齢者、子どもなどは、ほんとうにつり革や手すりから引きはがされ、壁にたたきつけられるのではないかと心配になる。

 

バン!バン!とすごい音がするので何事かと思って音のするほうを見ると、車両間の通路のドアが揺れのせいで開いては閉じてを繰り返す音であったときはさすがにドン引いてしまった。

 

今まで関西地方や中国地方など、わりといろいろな地方に住んできたが、ここまで揺れを感じたことはなかった。というか、そんなことを意識すらしなかった。

 

しかも、異常な混み具合を見せてくれる。遅延しているわけでもないのに混んで乗れなかったときはさすがに笑うしかなかった。

 

さらに、もう揺れとか関係ないが、2分後とかにはすぐあとの電車が来るのに、みんな無理やりにでも乗り込んで来ようとする。

 

この無理やりというのがほんとうに無理やりで、駅のホーム以外で同じことをしたらふつうに犯罪ではないのかな?という勢いでタックルを仕掛けてくる。

植田日銀も金融緩和政策を継続するということで、ついでにタックルも緩和されたりしたのかもしれない。

 

学生時代に一度相撲部の稽古を体験させてもらったことがあるが、相撲部員に匹敵する押し込みである。むしろ相撲部員相手のほうがまだ戦えた。

 

その混み具合で揺れるのである。私はいつも歴史の教科書で見た、黒人がアメリカに連れていかれる奴隷船を思い出してしまう。皮肉なことにこちらの奴隷線はみな自分の意思で乗っているのだが。

 

ちょうど電車内の広告で東京都民1300万人と書いてあったが、日本全体の1割以上が東京にいるというわけで、そりゃあこうなるよな、と思った。

保育所が足りないなどとたまに話題になるが、素人考えでは、こんな狭い土地に日本全体の1割以上が密集している東京で、保育所が足りていたらそれがむしろ異常なのではないかという気がしてしまう。

 

まあ私も地方から転入してきたわけで、一極集中を助長してしまっている側なので、電車の混雑に文句を言うつもりはない。

 

しかし、ひとつだけどうしても許せない人たちがいる。それは、電車がホームに着いたとたん、待機線を超えてドアに接近してくる、ホームで電車を待っている人である。

 

まず、降りてくる人にとって邪魔である。ドアの左右をふさがれているので、降りた人は直進するしかなく、密集し、降車に時間がかかる(気がする)。

 

そしてなにより、その駅では降りないがドア付近に立っているのでいったん降りてくれた人の居場所がなくなる。

 

なんとなく、いったん降りてくれた人は、再度乗るときは先頭で乗るべきだと思うのだが、ホームで待っている人が接近してくると、その駅でほんとうに降りる人の動線を確保しなければならないため、居場所がなくなってしまう。私はこれでやむなく最後尾まで移動し、けっきょく乗れずつぎの電車を待つことがまれによくある。

 

そして、いちばん嫌なのが、ホームで待っているときである。私が先頭に並んでいる場合は、降りる人が降り切ってから待機線を超えるようにしているのだが、私のうしろに並んでいる人が、私を追い越してドアに接近しようとするのである。これはわりと強めの嫌悪感である。

 

きっとそういう人は、私がその電車には乗らないのだと思ったなどという苦しい言い訳を並べるだろうが、そんなものは通用しない。自分が(いったん)降りるときとかに、迷惑さは感じているはずなので、分かっていてやっているわけで、これは相当悪質である。

 

もしかして、駅のホームではいっさいの行為を罰しないみたいな、映画「パージ」的な条例でもあるのかと思った。

 

ちなみに中央線以外でもだいたい同じように揺れるし混むしドアに接近してくる。

 

私もそのうち感覚が麻痺し、ドアに接近し、乗客にタックルするようになるのだろうか。そうなったら田舎から出てきた私も晴れて都会人になったということなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

はじめての簿記(第1回)

はじめての簿記第1回ということで、簿記をいっさい知らなった私に家庭教師をする気持ちでやっていきましょう。

 

(Q1)

簿記とはなにか。

(A1)

帳簿に記入することである。

 

(Q2)

なぜ帳簿に記入するのか。

(A2)

帳簿をつくるためである。

 

(Q3)

帳簿とはなにか。

(A3)

決算書を作る基となるものである。日々発生するいろんな取引(何か買ったとか、売ったとか)を忘れないようにメモしているイメージ。

 

(Q4)

決算書とはなにか。

(A4)

決算書とは、貸借対照表損益計算書である。(ほかにもあるが簿記によってつくるのはこのふたつなので、ほかは無視してよい。興味があれば学べばよい)

 

(Q5)

損益計算書とはなにか。

そして、なぜA4では貸借対照表を先に書いたのに損益計算書から説明するのか。

(A5)

損益計算書とは、どれくらい儲かったかを示す書類である。益(profit)と損(loss)を示すので、英語ではProfit & Loss Statementという。略してP/Lという。

 

なぜ貸借対照表を先に書いたのかというと、決算書を並べる場合、ふつう貸借対照表損益計算書の順で並べるからだ(慣習なのかな?理由はあるのかもしれない)。説明としては、損益計算書のほうがイメージしやすいと思うからそうしただけ。

 

(Q6)

貸借対照表とはなにか。

(A6)

「所有している財産の一覧及びその金額」と、「その財産をどうやって手に入れたのかということ(たとえば、人から借金して手に入れたとか、自分で稼ぎ出して手に入れたとか)と、その方法で手に入れた金額」を示す書類である。

 

たとえば、100円玉を1枚持っているとする。そうすると、「所有している財産の一覧及びその金額」は、「現金で100円」ということだ。

 

この100円は、友人から借りたものだとする。そうすると、「その財産をどうやって手に入れたのかということと、その方法で手に入れた金額」は、「借金で100円」ということだ。

 

このように、前者と後者は(その定義からして当たり前に)同じ金額になる。

つまり、バランスするので、英語ではBalance Sheet(バランスシート)という。略してB/Sという。

どうして「貸借」という言葉を使うのかは、まあそういうものだと思ってください。

 

(Q7)

けっきょく簿記ってなに?

(A7)

たとえばその会社がどんな会社なのか、ということを知りたいと思ったら、どういったことを知りたいか?

 

1. まず、いくら売上げがあって、いくら費用がかかっていて、どれくらい儲けが出て 

 いるのかということが気になる。

2. それから、どれくらい借金があるのかも気になる。また、来月、従業員に給料を払 

 えるだけの現金とか預金があるのかも気になる。

3. 会社のオフィスの建物は、会社の所有物なのか、賃貸なのか。その建物が建ってい

 る土地は所有物なのか、借り物なのか。

4. 今回はわりと儲けがたくさん出ていたようだが、その原因は何なのか。売上げが爆

 増したからか、費用が激減したからか、たまたま持っていた土地を売って、それが高 

 く売れたからか、はたまたどこぞの大富豪からとつぜん多額の寄附を受けたからか。

 

とまあ、適当に書いてもこういうふうにいろいろ気になることがある。もちろん、社長の人柄とか、従業員の性格の傾向とか、そういったソフトなこともその会社がどんな会社かを決める重要な要素であることは間違いないが、それでも、上に挙げたような数字で測ることができる要素も、たくさんの情報を与えてくれる。

 

上にあげた1~4のなかには、いろいろな(簿記っぽい)ワードが出てきた。売上げ、費用、儲け、借金、土地、建物など。

これらのワードは2つに分類することができる。

 

それは、概念(フィクション)なのか、現物(リアル)なのかということだ。

 

どういうことか?

 

たとえば1には、「売上げ」、「費用」、「儲け」というワードが出てきた。あなたがその会社の社長に、「御社の売上げ、費用、儲けを確認したいので、このテーブルに持ってきてほしい」と依頼したとしよう。

 

おそらく、社長は困惑するはずだ。

 

あなたは、「いや、たとえばレジとか金庫とかに入っている、今月の売上げ代金を持ってきてくれればいいのだ」と思うかもしれない。

 

しかしそれは、売上げ代金という、あくまで現金という現物(リアル)である。「売上げ」というものをここに持ってくることはできない。概念(フィクション)とはこういう意味である。

 

「費用」や「儲け」も同じことである。取引先から仕入れた商品や、(しつこいようだか)レジや金庫に入っている儲けたお金は、あくまで「商品」、「現金」という現物(リアル)であって、「費用」「儲け」そのものではない。

 

いっぽう3には、「土地」「建物」というワードが出てくる。

あなたはまた社長に、「御社の土地と建物を確認したいので、このテーブルに持ってきてほしい」と依頼したとしよう。

 

社長は、さすがにテーブルに持ってくることはできないだろうが、「土地」や「建物」に案内し、見せてくれるだろう。

 

あなたは、その土地や建物をその目で見ることができ、その手で触れることができる。これが現物(リアル)だ。「現金」や「商品」もそうである。

 

ちなみに「預金」自体は見えないし触れないので概念(フィクション)なのか、という鋭すぎる指摘には、私は窮するほかない。まあ(ふつうは)すぐに現金化できるので、ほぼ現金ということで現物(リアル)ということにさせていただきたい(通帳とか見えるし触れるし)。

 

つまり、私たちがその会社がどんな会社なのかを会計的に説明しようとする場合、その説明は、概念(フィクション)と現物(リアル)という2種類の情報によって構成されているということだ。

 

概念(フィクション)とは、たとえば「売上げ」「費用」「儲け」

現物(リアル)とは、たとえば「土地」「建物」「現金」「預金」「商品」

 

Q5とQ6をもう一度読み返してもらいたい。

これで分かっただろう。

 

概念(フィクション)を示す書類が損益計算書(P/L)

現物(リアル)を示す書類が貸借対照表(B/S)

 

なのである。

 

つまり、P/LとB/Sから構成される決算書とは、その会社がどんな会社であるかを、概念(フィクション)と、現物(リアル)という、2つの側面から説明する書類なのである。

 

この決算書を作るために帳簿を作る必要があり、そのために帳簿に記入する必要があり、その(一連の)行為を簿記というわけである。

 

したがって、簿記の目的は、決算書(P/LとB/S)をつくることなのである。

この決算書によって、会社(など)は業績を発表したり、投資家(など)は投資先の会社を見極めたりすることができ(たりす)る。

 

次回は、具体的にどのような作業を行うのかを学んでいこう。

今回学んだ抽象的な内容を理解しておくことが、具体に落とし込む際に深い理解と納得に資すること請け合いだ。

 

今回はここまでです。お読みいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

はじめての簿記(第0回)

簿記とは、Wikipediaによると、以下のとおりである。

 

簿記(ぼき、英語bookkeeping)とは、企業などの経済主体が経済取引によりもたらされる資産負債純資産の増減を管理し、併せて一定期間内の収益及び費用記録することである。より平易な言い方をすると「お金やものの出入りを記録するための方法」である

簿記 - Wikipedia

 

わたしは以前簿記を使う仕事をしていたので、簿記については(国際企業みたいな複雑な取引は別として)実務に耐えうるレベルには習得していると思う(もしかすると実務に耐えていなかったのかもしれないが)。

 

しかし、私はその仕事に就くまで、いっさい簿記など知らなったし、内定が出たあと、簿記の学習をしておくように、というお触れが人事からなされたものの、まったくやる気が出ずせっかく買ったテキストを1ページも読まず入社日を迎えた。

 

入社後すぐ、簿記の実力テストが行われた。私は100点満点中3点で、全国の同期のなかで最低点数だった。

3点とかのやつ社会人なめてんじゃねーぞ、的な、講師陣からのかましにビビりつつ、研修で簿記の学習が始まったのだが、まったく理解できなかった。

 

市販の有名なテキストが教材だったが、3級テキストの最初の数ページを何度読み返しても、さっぱりイメージが湧かず、具体的な仕訳の勉強を始めても、自分がいま何をしているのかさえ分からない。

雰囲気で回答を埋め、研修の試験はかろうじて合格したというありさまだった。

 

何せ、研修後現場に配属されたあと、先輩に分からないことを教えてもらっていたなかで、「現金100円 / 売上100円」の仕訳が理解できていなかったことが発覚して先輩にあきれられたくらいだ。どうやって試験に合格したのか分からない。

 

現場に配属され、嫌でも簿記を理解しなければならなくなって、実務の上で試行錯誤しながらだんだん理解を深めていき、1年くらいで実務上困ることはなくなった。

 

それからしばらくして久しぶりに、研修当時使っていたテキストを読み返してみると、やっと最初の数ページが言いたいことが理解できた。

そして読み返しながら思ったのは、市販のテキストは、まったくの初学者には向いていないのではないかということだ。

 

難しすぎるということではない。とても丁寧に、平易な言葉で書こうとしている努力は伝わる。暗記のコツとかも書いてあって、とっつきやすさは醸し出されている。

 

しかし、テキストの最初の数ページで初学者が理解する必要があるのは、簿記とはそもそも何で、何を目指して行うものなのか、という、抽象的なグランドデザインだと思う。

それが理解できていなければ、たんに頻出仕訳を暗記していく作業になり、面白くもなければ理解も深まらない。

具体的な学習は、抽象的な理解をバックグラウンドに持っていなければ、効果が薄い。

 

その観点から見れば、私が使っていた市販のテキストは、まったく合格点に達していない。実務経験を積んだ今読み返して、想像力をフル回転させてやっと、まあこういうことが伝えたいのかな、と推測できるレベルだ。

もちろん、簿記とは何か、目的は何か、といったことも書かれている。しかし、説明が足りていない。どうしてこれで学習をスタートできると思ったのか、不思議でならない。

 

もちろん、市販のテキストは、深い(とは言っても別に私も学者みたいに理解しているわけではない)理解をするためではなく、簿記検定に合格することが目的だから、たんに点がとれるようになればよいという方針で執筆されているとも考えられる。

そういった勉強に耐えられる人は(嫌味でなく)根性があるのだと思う。むしろ、私の同期はだいたいそのテキストで検定に合格していたので、私に根性がなかっただけだともいえる。

 

しかし、私のように、たんなる作業的な勉強にはまったく身が入らないという人のほうが多数派だと思う。

最初にもう少し違った導入がなされていれば、根性ではなく、私ももっとスムーズに楽しく簿記の勉強ができたのではないか。

 

それはじっさい、実務経験を積んだ後、もっとレベルの高い簿記を学ぶ機会が与えられたときにも感じた。

 

そのときの簿記の講師は大学教授で、テキストも市販のテキストなどではない、もっと「ちゃんとした」やつだった。

その講義の冒頭で、教授は、「今さら言うまでもありませんが、簿記の基本についていちおう簡単に説明しておきます」と言って、少し話をしてくれた。

 

その内容は、当時の私はすでに理解している内容ではあったが、まさに初回の講義にふさわしい内容であった。これをあのときに聞いていれば、、、と思ったものだ。

 

ということで、私が過去に戻って簿記をまったく知らなかった当時の私に家庭教師をするとしたら、どういうふうに教えるか、というコンセプトで「はじめての簿記」シリーズを書いていきたいと思う。

 

長くなったので次の記事で。

なぜ子どもが増えないのか。それは、子どもが欲しくないからだ。

少子化問題にかんする議論がかまびすしい。もちろん、少子化はいろいろな問題を生じさせるだろうし、解決できるならそれに越したことはないと思うが、わたしはそれは不可能なのではないかと思うようになった。

今回はその理由について書いてみたい。

 

なお、私が少子化を改善(できるなら)したほうがいいと思うのは、社会保障の存続のためだとか、そういうことではない。それはそれで対策が急務だと思うが、それをこれから産まれてくる子どもで解決しようとするのはさすがに非人道的(言い過ぎ)な気がするからである。カントに言わせれば、それはたんに子どもを手段としてしか扱っておらず、目的として扱っていないから道徳的でないということになるだろう。

 

わたしが少子化を改善したほうがいいと思うのは、たんにその方が人々にとって幸せだと思うからだ。それは老後の心配が減るので幸せ度が上がるとかそういうことではなく、愛する人と子どもを設けて生きていくことが最大の(←これはあくまで私見。まあ全部私見だが)幸せだと思うからだ。近年、望んでか望まざるか、未婚者または子どもをもたない者が増えているが、それは幸せから遠ざかっていると思うので、それはよくないと思うということである。

 

それはそれとして、なぜ少子化は改善できないと思うのか。その答えは単純で、そもそも国民は、結婚したいとも、子どもが欲しいとも思っていない(ように見える)からである。望んでいないことをさせることほど難しいことはない。

 

政府は(というか少子化対策を叫ぶ人は)、人々は結婚したいと思っており、また子どもが欲しいと思っているが、なんらかの(典型的にはお金が足りないという)理由でその目的が達成できない状況にあるので、その障害を取り除いてあげれば人々は結婚し子どもを持つようになる、と考えているように思われる。しかし、私にはどうしてもそうは思えない。それは肌感覚でもそうであるが、「少子化にかんする実態調査」的なものを見てもそうなのである。

 

国立社会保障・人口問題研究所が令和3年6月に実施した「第16回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」の結果の概要を見てみよう。(リンク先のページからPDFをダウンロードできる)

第16回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)|国立社会保障・人口問題研究所 (ipss.go.jp)

 

まず、直近調査年で「いずれ結婚するつもり」と考えている未婚者(18~34歳)の割合(p.18)を見ると、男性で81.4%、女性で84.3%と、高水準である。

これについて、どういう設問だったかというと、「自分の一生を通じて考えた場合、あなたの結婚に対するお考えは、次のうちどちらですか。1.いずれ結婚するつもり、2.一生結婚するつもりはない」である。

すなわち、2は完全に結婚の可能性はゼロ、という選択肢であるのに対し、1は、まあいつかは気が向いたら結婚しないでもない、というレベルの選択肢(選択肢をちゃんと読めばそういうことではなく、一生のいずれかのタイミングで「絶対に」結婚する、という意味なのだろうが、そう捉える人はまずいないと思う。)なのである。

そう考えると、まあほとんどの人は1を選ぶだろう。18~34歳で結婚という選択肢を完全にシャットアウトする人が多いとは考えにくい。

むしろ2を選んだ人が男性で17.3%、女性で14.6%もいたことが驚きな気がする。

 

しかし百歩譲って、8割以上の人が結婚したいと思っているという解釈をしたとしよう。つぎに生じる疑問は、ではなぜ結婚していないのか、ということである。これについてもきちんと調査がされていて、結婚意思のある未婚者(18~34歳)に、現在独身でいる理由をたずねている。(p.24)

注目すべきは「結婚意思のある」未婚者にたずねているのである。複数回答可なので、多数の回答を集めた選択肢を列挙する。

なお18~24歳と25~34歳で分けて集計されており、前者には当然ながら「結婚するにはまだ若すぎるから」という回答が多いので、それ以外を挙げる。

 

結婚する必要性をまだ感じないから(特に多い)

今は、仕事(または学業)にうちこみたいから(前者で多め)

今は、趣味や娯楽を楽しみたいから

独身の自由さや気楽さを失いたくないから(後者で多め)

適当な相手にまだめぐり会わないから(特に多い)

結婚資金が足りないから(比較的少なめ)

 

これを見て、どう思われるだろうか。繰り返しになるが、これは、結婚意思のある未婚者に限って調査した結果なのである。

これを見る限り、結婚意思があると答える未婚者は、ほんとうのところでは結婚したいとは思っていないとしか考えられないように思われるのである。ということは、子どもも欲しいと思っていないということになろう(そういう調査もされているはずだが、恐縮ながらちゃんと読んでいない)。

もちろん、「仕事に打ち込みたい」というのは、低い収入で長時間働かざるを得ないので、結婚どころではない、ということなのかもしれないし、「適当な相手にまだめぐり会わない」というのは、がんばって婚活をしているが、どうしても相手から選んでもらえない、ということなのかもしれない。しかし、そうだとしても、それは今、少子化対策として議論されているような、子育て費用の負担を軽減するとか、保育所的な機能を充実させるとか、そういうことで解決するものではない(当たり前だが)。

 

お金で解決するなら、負担軽減とかそんなレベルではどうにもならない。なんといっても、人が(ぜったいに嫌だというわけではないにせよ)望んでいないことをさせるのである。よほどの(文字通り)異次元のお金をもらえるというのでなければ人は動かないだろう。

結婚して子どもを産むだけで超絶人生イージーモード、一生働かずに遊んで暮らせる、というレベルで給付金を用意すれば、出生率も向上するだろうが、それこそ子どもを手段としてしか扱っていないわけで、カントが(たぶん)許さない。

 

だから、私は少子化は改善できない気がしている。なぜなら、人々がそれを望んでいないのだから。

 

あり得るとすれば、価値観を変える政策だ。結婚、子育てこそが至高、それ以上の幸せなどあり得ない。そういった価値観の社会になれば、きっと少子化は解決するだろう。しかし、そんなことはもうできる時代ではない(できた時代があったのかは知らないが)し、そうするべきだとは誰も思わないだろう。

結婚だけが幸せではない。子どもをもつことだけが人生ではない。まったくもって正しいと思う。この言葉そのものの意味には、心から、全面的に、一点の曇りもなく賛成だ。しかし、私はこの考え方が良いとは思わない。

それは、このような言葉に惑わされ(たのかは分からないが)、結婚、子どもを望まない人が増えたこの世界が、幸せな方向に進んでいるとは思えないからだ。

 

あなたの両親にこう問うてみてはどうだろうか。

 

「お父さんとお母さんは、あのとき、もしふたりの年収がもっともっと少なかったとしたら、保育所が空いていなかったとしたら、雇用形態が不安定だったとしたら、景気の見通しが悪かったとしたら、国の雰囲気がなんとなく暗かったとしたら、私を産まないほうがよかったと思いますか?そのほうが、幸せだったと思いますか?」

 

きっと、あなたがいかなる留保をつけようとも、あなたと生きられたこの人生のほうが何倍も幸せだったと、断言してくれるだろう。心から。