東京の中央線をよく利用する。
私は今は東京に住んでいるが、もともとは関西の田舎の出身なので、東京に来て中央線に乗ったとき、その揺れの激しさに驚いた。
縁起でもないが、事故かテロでもあったのでないかと思ったほどだ。まあちょっと大げさに書いたが、とはいってもそこまで大げさなつもりはない。
私の感覚では、電車とは、別につり革も何もつかまなくても、立っていられるものだった。
それが中央線では立っていられない。立っているのが困難ということではない。立っているのが不可能なのだ。
基本的な揺れ自体も大きいが、時折(私にとっては)脱線したのかと思うほどの揺れが生じる。
つり革をつかんでいても、振りほどかれるのではないかと思うほどだ。
私は男性で、おそらく人よりも足腰も丈夫なほうで、しなやかな筋肉質の体(に脂肪がたくさんついている)だと思うが、それでもそうなのだから、女性や高齢者、子どもなどは、ほんとうにつり革や手すりから引きはがされ、壁にたたきつけられるのではないかと心配になる。
バン!バン!とすごい音がするので何事かと思って音のするほうを見ると、車両間の通路のドアが揺れのせいで開いては閉じてを繰り返す音であったときはさすがにドン引いてしまった。
今まで関西地方や中国地方など、わりといろいろな地方に住んできたが、ここまで揺れを感じたことはなかった。というか、そんなことを意識すらしなかった。
しかも、異常な混み具合を見せてくれる。遅延しているわけでもないのに混んで乗れなかったときはさすがに笑うしかなかった。
さらに、もう揺れとか関係ないが、2分後とかにはすぐあとの電車が来るのに、みんな無理やりにでも乗り込んで来ようとする。
この無理やりというのがほんとうに無理やりで、駅のホーム以外で同じことをしたらふつうに犯罪ではないのかな?という勢いでタックルを仕掛けてくる。
植田日銀も金融緩和政策を継続するということで、ついでにタックルも緩和されたりしたのかもしれない。
学生時代に一度相撲部の稽古を体験させてもらったことがあるが、相撲部員に匹敵する押し込みである。むしろ相撲部員相手のほうがまだ戦えた。
その混み具合で揺れるのである。私はいつも歴史の教科書で見た、黒人がアメリカに連れていかれる奴隷船を思い出してしまう。皮肉なことにこちらの奴隷線はみな自分の意思で乗っているのだが。
ちょうど電車内の広告で東京都民1300万人と書いてあったが、日本全体の1割以上が東京にいるというわけで、そりゃあこうなるよな、と思った。
保育所が足りないなどとたまに話題になるが、素人考えでは、こんな狭い土地に日本全体の1割以上が密集している東京で、保育所が足りていたらそれがむしろ異常なのではないかという気がしてしまう。
まあ私も地方から転入してきたわけで、一極集中を助長してしまっている側なので、電車の混雑に文句を言うつもりはない。
しかし、ひとつだけどうしても許せない人たちがいる。それは、電車がホームに着いたとたん、待機線を超えてドアに接近してくる、ホームで電車を待っている人である。
まず、降りてくる人にとって邪魔である。ドアの左右をふさがれているので、降りた人は直進するしかなく、密集し、降車に時間がかかる(気がする)。
そしてなにより、その駅では降りないがドア付近に立っているのでいったん降りてくれた人の居場所がなくなる。
なんとなく、いったん降りてくれた人は、再度乗るときは先頭で乗るべきだと思うのだが、ホームで待っている人が接近してくると、その駅でほんとうに降りる人の動線を確保しなければならないため、居場所がなくなってしまう。私はこれでやむなく最後尾まで移動し、けっきょく乗れずつぎの電車を待つことがまれによくある。
そして、いちばん嫌なのが、ホームで待っているときである。私が先頭に並んでいる場合は、降りる人が降り切ってから待機線を超えるようにしているのだが、私のうしろに並んでいる人が、私を追い越してドアに接近しようとするのである。これはわりと強めの嫌悪感である。
きっとそういう人は、私がその電車には乗らないのだと思ったなどという苦しい言い訳を並べるだろうが、そんなものは通用しない。自分が(いったん)降りるときとかに、迷惑さは感じているはずなので、分かっていてやっているわけで、これは相当悪質である。
もしかして、駅のホームではいっさいの行為を罰しないみたいな、映画「パージ」的な条例でもあるのかと思った。
ちなみに中央線以外でもだいたい同じように揺れるし混むしドアに接近してくる。
私もそのうち感覚が麻痺し、ドアに接近し、乗客にタックルするようになるのだろうか。そうなったら田舎から出てきた私も晴れて都会人になったということなのかもしれない。