なぜ子どもが増えないのか。それは、子どもが欲しくないからだ。

少子化問題にかんする議論がかまびすしい。もちろん、少子化はいろいろな問題を生じさせるだろうし、解決できるならそれに越したことはないと思うが、わたしはそれは不可能なのではないかと思うようになった。

今回はその理由について書いてみたい。

 

なお、私が少子化を改善(できるなら)したほうがいいと思うのは、社会保障の存続のためだとか、そういうことではない。それはそれで対策が急務だと思うが、それをこれから産まれてくる子どもで解決しようとするのはさすがに非人道的(言い過ぎ)な気がするからである。カントに言わせれば、それはたんに子どもを手段としてしか扱っておらず、目的として扱っていないから道徳的でないということになるだろう。

 

わたしが少子化を改善したほうがいいと思うのは、たんにその方が人々にとって幸せだと思うからだ。それは老後の心配が減るので幸せ度が上がるとかそういうことではなく、愛する人と子どもを設けて生きていくことが最大の(←これはあくまで私見。まあ全部私見だが)幸せだと思うからだ。近年、望んでか望まざるか、未婚者または子どもをもたない者が増えているが、それは幸せから遠ざかっていると思うので、それはよくないと思うということである。

 

それはそれとして、なぜ少子化は改善できないと思うのか。その答えは単純で、そもそも国民は、結婚したいとも、子どもが欲しいとも思っていない(ように見える)からである。望んでいないことをさせることほど難しいことはない。

 

政府は(というか少子化対策を叫ぶ人は)、人々は結婚したいと思っており、また子どもが欲しいと思っているが、なんらかの(典型的にはお金が足りないという)理由でその目的が達成できない状況にあるので、その障害を取り除いてあげれば人々は結婚し子どもを持つようになる、と考えているように思われる。しかし、私にはどうしてもそうは思えない。それは肌感覚でもそうであるが、「少子化にかんする実態調査」的なものを見てもそうなのである。

 

国立社会保障・人口問題研究所が令和3年6月に実施した「第16回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」の結果の概要を見てみよう。(リンク先のページからPDFをダウンロードできる)

第16回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)|国立社会保障・人口問題研究所 (ipss.go.jp)

 

まず、直近調査年で「いずれ結婚するつもり」と考えている未婚者(18~34歳)の割合(p.18)を見ると、男性で81.4%、女性で84.3%と、高水準である。

これについて、どういう設問だったかというと、「自分の一生を通じて考えた場合、あなたの結婚に対するお考えは、次のうちどちらですか。1.いずれ結婚するつもり、2.一生結婚するつもりはない」である。

すなわち、2は完全に結婚の可能性はゼロ、という選択肢であるのに対し、1は、まあいつかは気が向いたら結婚しないでもない、というレベルの選択肢(選択肢をちゃんと読めばそういうことではなく、一生のいずれかのタイミングで「絶対に」結婚する、という意味なのだろうが、そう捉える人はまずいないと思う。)なのである。

そう考えると、まあほとんどの人は1を選ぶだろう。18~34歳で結婚という選択肢を完全にシャットアウトする人が多いとは考えにくい。

むしろ2を選んだ人が男性で17.3%、女性で14.6%もいたことが驚きな気がする。

 

しかし百歩譲って、8割以上の人が結婚したいと思っているという解釈をしたとしよう。つぎに生じる疑問は、ではなぜ結婚していないのか、ということである。これについてもきちんと調査がされていて、結婚意思のある未婚者(18~34歳)に、現在独身でいる理由をたずねている。(p.24)

注目すべきは「結婚意思のある」未婚者にたずねているのである。複数回答可なので、多数の回答を集めた選択肢を列挙する。

なお18~24歳と25~34歳で分けて集計されており、前者には当然ながら「結婚するにはまだ若すぎるから」という回答が多いので、それ以外を挙げる。

 

結婚する必要性をまだ感じないから(特に多い)

今は、仕事(または学業)にうちこみたいから(前者で多め)

今は、趣味や娯楽を楽しみたいから

独身の自由さや気楽さを失いたくないから(後者で多め)

適当な相手にまだめぐり会わないから(特に多い)

結婚資金が足りないから(比較的少なめ)

 

これを見て、どう思われるだろうか。繰り返しになるが、これは、結婚意思のある未婚者に限って調査した結果なのである。

これを見る限り、結婚意思があると答える未婚者は、ほんとうのところでは結婚したいとは思っていないとしか考えられないように思われるのである。ということは、子どもも欲しいと思っていないということになろう(そういう調査もされているはずだが、恐縮ながらちゃんと読んでいない)。

もちろん、「仕事に打ち込みたい」というのは、低い収入で長時間働かざるを得ないので、結婚どころではない、ということなのかもしれないし、「適当な相手にまだめぐり会わない」というのは、がんばって婚活をしているが、どうしても相手から選んでもらえない、ということなのかもしれない。しかし、そうだとしても、それは今、少子化対策として議論されているような、子育て費用の負担を軽減するとか、保育所的な機能を充実させるとか、そういうことで解決するものではない(当たり前だが)。

 

お金で解決するなら、負担軽減とかそんなレベルではどうにもならない。なんといっても、人が(ぜったいに嫌だというわけではないにせよ)望んでいないことをさせるのである。よほどの(文字通り)異次元のお金をもらえるというのでなければ人は動かないだろう。

結婚して子どもを産むだけで超絶人生イージーモード、一生働かずに遊んで暮らせる、というレベルで給付金を用意すれば、出生率も向上するだろうが、それこそ子どもを手段としてしか扱っていないわけで、カントが(たぶん)許さない。

 

だから、私は少子化は改善できない気がしている。なぜなら、人々がそれを望んでいないのだから。

 

あり得るとすれば、価値観を変える政策だ。結婚、子育てこそが至高、それ以上の幸せなどあり得ない。そういった価値観の社会になれば、きっと少子化は解決するだろう。しかし、そんなことはもうできる時代ではない(できた時代があったのかは知らないが)し、そうするべきだとは誰も思わないだろう。

結婚だけが幸せではない。子どもをもつことだけが人生ではない。まったくもって正しいと思う。この言葉そのものの意味には、心から、全面的に、一点の曇りもなく賛成だ。しかし、私はこの考え方が良いとは思わない。

それは、このような言葉に惑わされ(たのかは分からないが)、結婚、子どもを望まない人が増えたこの世界が、幸せな方向に進んでいるとは思えないからだ。

 

あなたの両親にこう問うてみてはどうだろうか。

 

「お父さんとお母さんは、あのとき、もしふたりの年収がもっともっと少なかったとしたら、保育所が空いていなかったとしたら、雇用形態が不安定だったとしたら、景気の見通しが悪かったとしたら、国の雰囲気がなんとなく暗かったとしたら、私を産まないほうがよかったと思いますか?そのほうが、幸せだったと思いますか?」

 

きっと、あなたがいかなる留保をつけようとも、あなたと生きられたこの人生のほうが何倍も幸せだったと、断言してくれるだろう。心から。